お侍様 小劇場

    “たとえばこんな非日常” (お侍 番外編 77)
 


       




 ドラマや映画じゃあるまいにと、目の先で起きた現実であることすら信じられないような。

  ――それはあまりに信じがたい急襲の図であり。

 一般のご家庭ではまず、我が身に降りかかってくるものとしての想定なんて、しているはずのない出来事だろう。こちらの、一風変わったご事情を抱えたご一家にしても、この地で送る日々の生活には、そんなものへの関わりなんて欠片だって匂わせちゃあいない。世代ごとの魅惑をきっちりとおさえた、それぞれにそりゃあ風情ある男ぶりをした老若三人。彼らのみという男ばかりの所帯にしちゃあ いっそ珍しいほど、ご近所付き合いも欠かさないお宅で。ご町内でも、奇矯どころか、風通しのいい人懐っこいご家族として広く知られているくらい。特に、

 「…おや、お帰りなさい。」

 今月は三年生の受験もあってのことか、直接には関係のない下級生であれ、短縮授業が続くらしい高校生の次男坊。部活もないのか、お昼には超特急で戻ってくる日常を送っているがため、冬休みが終わっても、三連休が明けても、何だか依然として休暇中のような錯覚を招く在宅ぶりだったのだが。それは…彼に限っては、特に変わった運びじゃあない。

 「……。////////」

 買い食いもせずのただただ一途なまっしぐらにて、自宅までを帰って来る久蔵殿へ。お腹が空いたでしょうにと、鍋焼きうどんやあんかけ焼きそば、きちんきちんと暖かいお昼を用意して待つのが、色白金髪の、嫋やかな美貌をたたえたおっ母様こと、七郎次さんという美丈夫で。年齢不詳の若々しくも柔軟な肢体をした青年であり、結構な上背もあって、動作も機敏。力仕事への呼び出しにも軽やかなフットワークで応じてくださる、立派に頼もしい男衆ながら。きりりと冴えて凛々しいというより、甘く嫋やかな印象の方が勝
(まさ)るのは、その風貌の優しい拵(こしら)えのせいだろう。透き通るよな白い肌に青い双眸と来て、おおお外人さんかと、ついつい畏まりかかるのを、引き留め緩ませるのが、それは優しい物腰の数々で。家事担当だからか、そりゃあよく気がつく繊細なお人であり、日頃からも笑顔を絶やさぬ、人当たりのいい人性をしておいで。商店街では奥様方のよもやま話へも余裕で加わっている、見様によっちゃあ随分と変わりダネなお人ではあるけれど。目立つことを嫌ってか、あんまり自分のことは語らぬままであり。そういや…お誕生日とか知らないまんまよねぇなんて、言われてもいて。さりげなく人を上手に煙に撒くところなぞ、実は侮れないお人なのかも。そんなお兄さんへの、久蔵さんの傾倒ぶりは、日々のあれこれを間近に見る機会の多い、お隣りさんの五郎兵衛さんや平八さんでなくたって、ご町内でも商店街でも知らない人はないくらい、これまた広く知れ渡っているほどの代物で。口数少なく恥ずかしがり屋やさんな高校生の弟さんは、されど、お兄さんの買い物には出来得る限りをついて来るし、この頃では 上着やバッグなどなども、七郎次さんと同じデザインの色違いや、若しくは似たような印象のするものをと、出来るだけ揃えて悦に入ってる、可愛らしい“お揃いマニア”なんだとか。今日も、帰って来るなり、おっ母様の羽織っていたカシミアのカーディガンの色を見てから、微妙に似たような淡緋色のをと、引っ張り出して羽織って見せて。

 「あらまあ、そんなのお持ちでしたっけ。」

 青玻璃の目許たわませて、色白なおっ母様がひとしきり笑われたのが、冬の陽に淡く馴染んでそれは優しげ。揚げおこわに八宝菜風の野菜たっぷりあんかけを乗っけた、ほかほかのお昼をいただいて、

 「……。」
 「お外が寒かった反動でしょうかね。」

 真白な手の甲で、うにむにと目許を擦って見せるのを。体が温まってのこと、眠くなったのだろかしらねと。洗い物を済ませたそのまま、リビングのソファーに座した久蔵の、すぐのお隣りへと腰掛ける。幼子のような所作を、微笑ましいことよと見やったそのまま。陽を透かして なおやわらかな、金の綿毛髪を梳くように撫でてやっていた七郎次だったが、

 「…あれ?」

 視野の隅…と呼ぶには、かなりの後背を掠めた何かしら。横手に位置する窓の外、庭の隅のほうでひらんと舞った存在を、素早く察知してしまったところは。どう隠してもどう伏せても、その冴えがついお顔を覗かせる、感応の力の鋭さゆえか。何だろうと立ち上がりかかった傍らの温みを、

 「…っ。」

 指先の僅かに冷たい白い手が、ぐいと力込めて引き留める。今だけは独占出来るやさしい存在、どこへも遣るものかとでも思ったか。え?と見返す眼差しへ、小さくゆるゆるとかぶりを振ると、そのまま自分がと立ち上がる彼であり。きれいに磨かれた掃き出し窓に歩み寄り、サッシを かららと横に引き開ければ。外はまだまだ厳寒ゆるまずのままなのか、氷のような鋭さ保ったまんまの冷気のその切っ先が、数歩分は離れているはずのソファーの間近へまで届いたほど。スムースジャージ風のハイカラーシャツの上、部屋着に過ぎないカーディガンしか羽織らぬ身では、長居をするとすぐさま風邪を拾うんじゃないかと。そんな杞憂を抱いてのこと、確かめたなら早く戻れと、思う心が届けとばかり、庭履きのサンダルを突っかけた久蔵の、すんなりとした背中を視線で追った七郎次だったが。

  ――え?

 それもまた、違和感を見たらそのまま、最善の対処へ向けて速やかに体が動くようにと、日頃から反射を研ぎすませている研鑽の賜物というものだろか。お隣りと接している側ではなく、裏路地へと面した生け垣の方、小さなハンカチのような白っぽいものが引っ掛かっていたのへと、真っ直ぐに歩み寄った久蔵の背へと。思いがけない人影が、突然のこと…それも数人も、わらわらと姿を現し次々歩み寄るものだから。

 「な…っ。」

 そこは間違いなく当家の庭なのだし、こんな明るいうちに忍び寄る無法者、例えば“空き巣”の類が絶対来ないとは言わないけれど、それにしたって…5、6人はいよう陣容なのは あまりに異様。あっと言う間にその細い背中が見えなくなったほど取り囲むなんて、どんな“こっそりと”の定義がそうさせるものなのか…と。呆気に取られて惚けてしまうほど、反射の鈍い此方
(こなた)ではなく。

 「その子に何をっ!」

 ずんと驚いた衝撃にも、押さえ込まれぬその身の連動。他家へ押し込み、こんな不法行為をしでかすような連中、十中八九不審者なことへも怯むことなく。勢いよく立ち上がると窓へと歩を進め、そのまま飛び出して行きかねなかった七郎次の側も、

 「……っ!!」

 窓へと掛けた手を背後から押さえられ、誰がいつの間にと ぎょっとした視線とともに、その身を反転させての振り返り、もう一方の手を素早く薙ぎ払ったことで繰り出された鋭い手刀が。だが、大きな手のひらにやすやすと受け止められている。片方の手を封じられたことが基点となった動作ゆえ、その身の懐ろを大きく開いた格好になったは ある意味不覚で。こちらでも複数の相手が待ち受けていると、一瞥だけで把握した七郎次がゾッとしかかった、そのほんの僅かな隙に、

  ―― セダン車だろうか、重い響きのイグゾートノイズが外から聞こえて

  「あ……っ。」

 ほんの刹那だけ、眸と意識を離したその隙に。一体何がどうなったのかを、その無粋な駆動の唸りが残酷なまでに物語る。素早く発進し、遠ざかっていったのだろう走行音に誘われるように。せわしくも首を巡らせ、再び見やった肩の向こう。庭の一角に確かに出てったはずの久蔵の姿は、その彼へと寄ってった不審な存在と諸共に、もはや陰さえ残さずにすっかりと消え失せており。無人の庭を隈無く見通せる大窓が、開けっ放しになっているその縁で。冬用のカーテンの下にまとめられてあったオーガンジーのカーテンが、冷ややかな風にあおられ、大きくめくれてひるがえるばかり。ついさっきまで、何事もないままだった、見慣れたリビングと庭先と。その眺望には少しも…陽の差しようも木陰の角度も、どこも何にも違いなんてないというのに。信じたくはないけれど、それでもこれは現実だぞと、居残った七郎次へ冷たくも告げているかのような風が吹き込んでおり。


  あの久蔵が、あまりに手際よく、
  声もないままその身を略取されてしまっただなんて……


 その事実自体も衝撃だが、見過ごす結果を招いた…何の手も打てなかった自分の不甲斐なさもまた重い。そんなこんなに打ちのめされかけてのことか、膝から頽れ落ちかかる彼へと、腕を延べてその身を支えた存在へ、ようやっとのこと我に返れた七郎次、

 「どうして…なんで、アタシを制
(と)めなすったっ。」

 八つ当たりというのじゃないけれど。あの間合いで飛び出せておれば、何とか間に合ったはずな介添え、この存在の不意打ちに邪魔されて引き留められたのもまた事実。強烈な不審が怒りに塗り替わりかねぬほどに煮えているそのまま、滅多になかろう強い視線で睨めつけてくる七郎次であるのを、だが、

 「……。」

 それは冷静に、何の感情も載せぬままの真顔で見返すその人は、次代にあたる久蔵が、今は不在な木曽の支家を預かる、高階という頼もしき壮年執事殿に他ならず。久蔵の身が危難に遭っていたというに、他でもない彼が邪魔立てしたものだから、余計に合点が行かず混乱しもした自分が今はただただ口惜しいったらなく。

 「離してください。」

 こうしている間も惜しいという、現状を思い直した七郎次。尖った気勢はそのまま荒々しい所作で手を打ち払い、部屋から出て行こうと仕掛かるのへは、他にも控えていた面々がその身を次々に押し出して見せる。手こそ出さぬがそれでもと、それぞれの身を盾にし、行く手を塞いで通させぬ。

 「…退かぬというなら、こっちも力づくを通させていただくが。」

 ずりと半歩、軸足を引いて。格闘へとなだれ込まんという態勢へと身構える。相手は“証しの一族”としての苛酷な務めへも出ている、いわば現役の方々なのだろうから。多少の武道を用いたとて、素人組の自分では到底歯の立つ相手じゃあないかも知れぬが。自分らが直接仕える存在、次の総代にあたる久蔵を、助けもせずに攫わせたとは、一体どういう心得違いかと。滅多にないほどの強さと激しさで、この胸のうちへと滾
(たぎ)る気概が、せめての一太刀くらいは決めさせてくれるかも知れぬ。勝手の判り過ぎる場所だということも考慮に入れて………、

 「…気をつけよ、高階。
  そのじゃじゃ馬、何となれば自分の気に入りの調度でも容赦なく蹴上げるぞ。
  例えば…テーブルの上のその菓子鉢なぞをな。」

 「…っ。」

 今まさに、その通りに動き掛けていた先手の一蹴。ずばりと、しかも重々しいお声で指摘され、思うより迷うより早くと訓練されているその身の連動が、これまた同じほどの素早さ、ひたりと止まった反射の鋭さよ。一気呵成という過激な動作であるがゆえ、逆に言えば急停止させるのは倍以上の負荷との拮抗をも制御せねばならぬこと、単なる攻撃動作以上に至難なそれである筈だのに。全身への自在が隈なく、且つ 鋭く利く身であればこその、難度の高い制御をしおおせたその身が、立ち尽くしたそのまま…今度こそは足元の床の上へ、素直に頽れ落ちてのへたり込む。乱暴な動きにかき乱されたか、束ねが緩んでの頬へとこぼれかかった髪の陰で。悔しさと切なさを込め、柔らかな口許をきゅうと咬みしめてしまう横顔の、何とも悲しげな趣きであることか。その身こそ無事であれ、こうまで苛まれてしまっては、彼もまた傷を受けたも同然で。

 「…これもまた、島田が務めの上での運びだというのなら、
  居合わせ関わった私は、口つぐむことを強制されますのでしょうか。」

 自分はもとより久蔵もまた、厳密なことを言えばまだ、成人として正式な島田の人間となるための“名乗り上げ”は果たしていない身。そうであっても掟は掟、その定めを強いられるというのなら。身内ならではのこれも義務や試練というものか、蹂躙されても文句は言えぬが。それへと従わねばならぬなら、せめての反駁、これだけは言わせてもらおうと。傍らへと進み来やったその人へ、失意の眼差しそれでも振り上げ、決意の面差しも堅いまま、


  「一体何を口外してはならぬのか、ご説明いただきましょうか、勘兵衛様。」


 きっぱりと、そう言ってのけた七郎次だったのであった。





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  *何がなにやらという展開ですが、はてさてどういう騒動なやら…。


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